Our History
ウィンザー&ニュートンの歴史
1832
ウィンザー&ニュートン設立
科学者ウィリアム・ウィンザーと芸術家ヘンリー・ニュートンがロンドンのラスボーン・プレイス38番地でパートナーシップを結びました。
1835
世界初のモイストウォーターカラーを発売
ウィンザー&ニュートンは、屋外ペイントの歴史を変えるグリセリンベースのモイストウォーターカラーを開発しました。
1837
ヴィクトリア女王の即位
ヴィクトリア女王は、シリーズ7の筆の開発を依頼し、ウィンザー&ニュートン に最初のロイヤルワラントを与えました。このことにより、ヴィクトリア女王の治世はウィンザー&ニュートン にとって重要な意味を持つことになりました。
1840
ガラス製のシリンジを導入
ウィリアム・ウィンザーは、ブラダー(袋状の嚢)に代わるガラス製の注射器(シリンジ)を油絵具容器として導入しました。
1841 — 1905
初の王室御用達令状を授与される
ヴィクトリア女王は ウィンザー&ニュートンに最初の王室御用達の令状を授与し、それ以来、そのお墨付きを得ています。現在もウィンザー&ニュートンは、ウェールズ皇太子殿下の指名により事業を継続しています。
1842
スクリューキャップチューブ 特許取得
ウィリアム・ウィンザーが初めてスクリューキャップ式の折りたたみ式金属チューブの特許を取得し、これが標準的な絵具容器となります。
1844
JMWターナー「雨と蒸気とスピード:グレート・ウェスタン鉄道
交通手段の増加と、金属製のチューブに入った絵具の入手が可能になったことで、芸術家はかつてないほど旅をしたり、屋外で絵を描いたりすることができるようになりました。
1854
優れたカラーマン、ジョージ・フィールド死去
ジョージ・フィールドは、マダーやレーキの調合について研究していました。彼の死後、ウィリアム・ウィンザーが彼の著書を購入し、ローズマダーの製造は最近の近代化の時代までこれらのレシピに沿って行われていました。
1866
ビクトリア女王のために作られたシリーズ7のブラシ
ヴィクトリア女王は、ウィンザー&ニュートンに最高級のコリンスキー・セーブルの水彩画用ブラシを、彼女のお気に入りのサイズである7号で製造するように命じました。
1874
クロード・モネ、フランス印象派第1回展に出展
クロード・モネがフランス印象派の第一回展で「日の出」を展示。この展覧会が印象派の誕生のきっかけとなりました。
1881
ウィンザー&ニュートン Limited Company 設立
ヘンリー・ニュートンは死の数ヶ月前、事業を新たに設立されたウィンザー&ニュートン社に売却しましたが、この会社の株主には両家のメンバーが含まれていました。ニュートン一家は1970年代後半まで働いていました。
1892
「アーティスト向け絵具の色の組成と永続性」初版発行
最も安定した永続的な顔料を作ることに専念していたウィンザー&ニュートンは、その色の組成と永続性を書籍にまとめて初めて発表しました。
1937
ウィンザー&ニュートンからデザイナーズガッシュが登場
高濃度顔料の不透明な水彩絵具であるデザイナーズガッシュは、グラフィックデザイナーに最も人気のある画材となりました。
1937 — 1938
ロンドンのハローにカラー製造拠点を開設
1937年から1938年にかけて、ウィンザー&ニュートンは西ロンドンに移転しました。このため、1年後にラスボーン・プレイスがロンドン大空襲で破壊されても、アーカイブとビジネスは無事でした。
1946
英国ローストフトに筆の製造工場を開設
戦後、新たな拠点が必要となりました。東アングリアの港町であるローストフトは、漁網の修理に必要な技術が筆の結び目にも応用できるため、最適な場所でありました。
1973
ドローイング インクがD.A.D.A銀賞(パッケージ部門)を受賞
著名なデザイナーであるマイケル・ピータースOBEは、ドローイングインクの象徴的なパッケージの制作を担当しました。これらのデザインは1973年にD.A.D.A silver award for a design programを受賞し、その後も、世界のデザインミュージアムで賞賛されています。
1976
世界初のアーティスト用アルキドオイルカラーを発売
ウィンザー&ニュートンがこの速乾性油絵具シリーズを発売することにより、従来の油絵具に比べてわずかな時間で油絵を完成させることができるようになりました。
1996
アーティスト・ウォーター・カラーに新色を追加
新しい顔料の登場により、35色の新色がシリーズに加わりました。